大正生まれの2020東京オリンピック観戦

2020東京オリンピック私が手話入門講座修了後に参加させていただいているところでお会いする方の中には大正生まれの方もおられます。その方との話題では「2020年の東京オリンピックに一緒に行くことができたら良いですねぇ。」というようなお話を最近させていただきました。その方は「100歳までは生きる。」とおっしゃっておられますので、一緒に東京オリンピックの内容をお話しする人を楽しみにしています。

和食さとでの手話

和食さと先日、つまり2013年10月5日には「和食さと」にての宴会(飲み会)に参加させていただきました。手話についての話でかなり盛り上がり楽しかったです。関係者及び参加者の皆々様、本当にありがとうございました。

神戸市長選挙with手話

神戸市長選挙ポスター掲示板昨日、つまり2013年10月4日、金曜日の午前8時ごろに神戸電鉄鈴蘭台駅前を通る機会がありました。その際には2013年10月27日の神戸市長選挙に立候補している方の立ち会い演説がありました。そこで応援演説をしている議員様は私が手話入門講座修了後にお会いしたことのある方でした。また、横を見ると、私がアロアロの手話バーでお会いしたことのある方もビラを配布しておられました。私は車で横を通り過ぎましたので、手をふるだけでした。両手の指を閉じた状態でを頭の左右前方で前後に動かすのが手話での「頑張って」という言葉になります。

なぜ若い人が参加しないのか

南京町案内図私は、20歳代や30歳代の社会人としてはまだまだ若いろう者の方々や聴覚障害者の方々から「私の住んでいる地域にある聴覚障害者団体には若い人たちが楽しむことができる行事や催しがないので参加したくない」とお聞きしたことがあります。とても複雑で難しい問題ですね。

マンガの中の障害者たち

マンガの中の障害者たちマンガの中の障害者たち

 

私が手元に所持している本の1冊に「マンガの中の障害者たち」というものがあります。

 

インターネットでの紹介を見てみると、

 

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

「知ってる?僕らろうあ者の事を描いた、こんなマンガがあるんだよ」「ね、あのマンガ読んだ?障害者の事を描いているけどさ、障害者自身から見たら、な~んかヘンだと思わない?」本書は、マンガを引用しながら、そういうお話を書いた本です。

 

【目次】(「BOOK」データベースより)

第1章 ろうあ者って、こんなふうに見られているの?/第2章 街角の、あたりまえのろうあ者たち/第3章 ここにも、あそこにも…さまざまな聴覚・言語障害者たち/第4章 主役になったろうあ者たち/第5章 マンガの中のさまざまな障害者たち/第6章 あたりまえに ありのままに

 

とあります。

 

この「マンガの中の障害者たち」のという本は、私のまわりのろう者の方から「貸してほしい」と言われて、お貸ししたこともあります。

 

色々なマンガを取り上げ、その漫画に対する解説や筆者の思いなどで構成されています。かなりわかりやすい内容ですが、聴覚障害者に対する差別問題などに深く切り込んでいる内容だと私は感じています。そして私は何回も読み直しています。

 

皆様も一度ご覧になってはいかがでしょうか。

聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち

聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち

 

私が手元に所持している本の1冊に「聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち」というものがあります。

 

インターネットでの紹介を見てみると、

 

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

聞こえる祖父母から聞こえない親をへて聞こえる子どもたちへ、メビウスの輪のような捩れを伴う家族の物語。聞こえる世界と聞こえない世界の間に生きるアイデンティティを探し求めたフィールドワーク。

 

【目次】(「BOOK」データベースより)

1 文化がぶつかるとき(人生を解釈する)/2 家族のアルバム(目に見えない奥深いもの/向こう側から見ると/もう一つの家族/不完全な鏡)/3 子どもの頃の風景(かつて聞いたことのない歌/裏返しか逆さま/受け継いだ違い/ハイフンでつながれた人生)/4 家庭と呼ばれる遠い世界(文化の周縁にいるアイデンティティ)

 

【著者情報】(「BOOK」データベースより)

プレストン,ポール(Preston,Paul)

1950年アメリカ合衆国イリノイ州生まれ。医療人類学博士(カリフォルニア大学)。現在は、カリフォルニア州バークレーに在住し、障害をもつ親をサポートする非営利団体(NPO)Through the Looking Glassで働いている。また、カリフォルニア大学サンフランシスコ校疫学・生物統計学部の助教授として教壇に立っている

 

渋谷智子(シブヤトモコ)

1974年東京生まれ。東京大学大学院修士課程(比較文学比較文化)、ロンドン大学ゴールドスミス校大学院修士課程(社会学)修了。現在、東京大学大学院超域文化科学専攻博士課程に在籍

 

井上朝日(イノウエトモカ)

1974年横浜生まれ。東京大学文学部(社会学)卒業。出版社を経て、現在ベンチャー企業に勤務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

とあります。

 

この「聞こえない親をもつ聞こえる子どもたち」のという本は、私のまわりのろう者の方から「貸してほしい」と言われて、お貸ししたこともあります。

 

かなり深い内容ですので、一度読んだだけでは、きちんと理解することが難しく、私は何回も読み直しています。

 

皆様も一度ご覧になってはいかがでしょうか。

手話関係での飲み会

千年の宴この1週間ぐらいで私がいる神戸市も急に気温が下がったような気がしています。先週まではクーラーでの冷房が必要だったのが今は冷房なしでも快適に眠ることができるようになっています。冷え込んでいくと、温かいお酒なども私は欲しくなってきます。こういう時には、手話関係での飲み会はとてもうれしいものです。前回は暑い時期の7月に手話関係での飲み会があったのですが、次回の手話関係の飲み会についても私は楽しみにしています。

東京と神戸の往復交通費1万円以内

東京と神戸の往復交通費1万円以内

 

手話活動を通じて知り合いになった方とお会いするとき同じ神戸市内であればすぐにお会いすることができます。しかし、お会いする相手の方が東京の方ですと、なかなかお会いすることができません。ましてや東京と神戸では交通費もかなり高いです。そこで東京と神戸の往復の交通費が1万円以内となるような交通手段をさがしました。

 

http://tkgb.jp/bus/bus.html

 

という上のURLとなります。

 

実際に何人かの方がご利用されているようです。

古民家

古民家秋に私が訪れたくなるのは古民家です。私の勝手にイメージする茅葺の古民家があるところは冬には雪でなかなか茅葺の屋根を見ることができないので、気候の良い秋に訪れたくなります。今回ご紹介している写真も過去に訪れたことがあるところです。また、手話関係の方々との行事などでも訪れてみたいと思っています。

夕暮れ

夕暮れ秋のお彼岸もすぎ、今から冬にかけて太陽が沈むのも少しずつ早くなりますね。私はこの秋から冬に向かう時の夕暮れを「じっ」と見つめると心が安らぎます。手話で夕方という単語は「右手の掌を顔の脇に置き、前方に弧を描いて倒す。陽が陰るのと、影が出来る状態を表現している。」となるようですが、丁度今回ご紹介している写真をみていても、私には何かピッタリとくるような気がしています。

中央卸市場

中央卸市場気が付けば、秋のお彼岸もすぎ、「食欲の秋」の到来です。読書の秋、スポーツの秋…その他「○○の秋」といわれることは多々あると思うのですが、私は過去に中央卸市場に行ったことがあります。今回ご紹介している写真は私が行った際の大阪の中央卸市場の風景です。なかでも、「せり」はとても活気がありました。せりについてのわかりやすい説明はhttp://www.shijou.metro.tokyo.jp/faq/answer/1-5.html
のURLをご覧いただけたらと思います。
私は、横で見ていたのですが、ほとんどわかりませんでした。ただし、とてもスピーディーに場が進んでいったことだけは見ていてわかりました。「せり」も手話で行われたらより面白いのではないかと思いました。ちなみに、「せり」の最中にあわらす数字ではごく一部手話での「数」と同じものもあるようですね。

難聴者と農業と手話

肥料私は農業ボランティアをすることもあります。過去に「指示が聞こえない」と感じたことがたびたびあります。田んぼや畑は広いです。普通の家にいる時とは、声の聞こえ方も違います。普通の家では「大きすぎる」と思うような声でも、広い田んぼや畑では家の中とは同じようには聞こえないです。私の場合は10メートルや20メートルはなれると、かなり大きな声で支持をいただく必要があります。以前にも肥料を撒くときにどういう手順でまけばよいかという指示がよくわからないことがありました。そのような際には手話が便利です。見ることさえできれば、少々離れていても、相手が何を言っているのかがわかります。しかし、農業をされている方で手話ができる方の人数はかなり少ないです。現状としては「しかたがない」のかもしれませんね。

中秋の名月

満月先日、手話サークルの例会が終わった後、夜になってから空を見上げると、お月様がとてもきれてに輝いて見えました。そういえば、ちょうど今の時期は「中秋の名月」といって、お月様がきれいにみえる時期であることを思い出しました。少し時間が止まったような感覚で私はしばらくお月様を見ていました。

日の出

日の出no1先日、手話サークル例会後に緊急入院させていただいた時のことです。入院中は患者の立場の私にとっては、時間がゆっくりと流れていきました。もちろん、主治医の先生や看護師の方々など、患者をお世話する立場の方々にとっては、とても忙しく時間が過ぎているのですが、患者としての立場の私にとっては時間がゆっくりと過ぎていきました。ですから、普段はじっくりと見ないような日の出を入院先の社会保険神戸中央病院から時間をかけてゆっくりと見ていました。「私は今生きている」という普段は感じないような感情が湧き上がってきたものです。

緊急入院について

病院夕食先日、私が手話入門講座修了後に参加させていただいているところに参加した後で、社会保険神戸中央病院に緊急手術入院しました。手術といってもESWL(体外衝撃波結石破砕術)というもので、体にメスを入れることもなく手術の中では簡単な部類のものです。しかし、結石が径13ミリ以上あり、痛みを伴うので主治医の先生のアドバイスに従い、一泊二日の短期入院させていただくことになりました。久しぶりに入院してみて感じたことは、お医者様も看護師様もその他のスタッフの方々も、普段外来で行くだけではわからないくらい、とても忙しいということです。お医者様なども、私のように入院している患者の手術や治療、アドバイスをしながら、その合間に外来の方の診察、治療、手術、アドバイスなどをされているということがよくわかりました。また、看護師の方に身の回りのお世話をしていただいたのですが、まさに「かゆいところに手が届く」というような、とても細やかな心配りをしていただき、不安な気持ちがとてもやわらぎました。また、入院した最初の時点で私が補聴器をつけていることを認識していただき、私に何か説明やお声掛けをいただく際には、耳元でゆっくりとやさしくはっきりとわかる声で色々とお話ししていただいたことは、普段から難聴について色々と考えたり、感じたりすることがある私にとっては、「とても新鮮」な感覚で、普段の日常社会でもこうてあれば良いなぁ、とも思ってしまったほどでした。本当に細やかなご配慮を、ごく自然に当たり前のようにしていただきありがとうございました。看護師の方は交代制で常に入院患者に何かあれば、常に対応できる、ということは頭では理解しているつもりでしたが、実際に自分が入院してみると、そのありがたさが身に染みました。今回の短期入院では主治医の先生や看護師の方々、薬剤師さんや事務職員の方々、清掃スタッフの方々、その他本当に多くの方々にお世話になりました。心より感謝しています。ありがとうございました。

太鼓

太鼓
 昔、子供の頃、夏祭りは通りがにぎやかになります。私は太鼓をたたく姿のかっこ良さに惹かれましたが、自分は聞こえないので残念だなと思いつつ、成長しました。
 その後、地元で、太鼓をやりたいとの意見が出て、皆でやろうということになり、20人くらい集まりました。
 友人に指導を頼んだら、知り合いを紹介してくれました。先生からは、あと3ケ月で練習できるのかと言われ、腹がたちましたが、皆で一致団結してやろうと自分たちの意志を示しました。週に2~3回、仕事を終えるとすぐに集まっては厳しい練習を重ねました。
 大会当日になり、本番の公演を終えました。私はとても燃えましたし、とてもよかったと言われました。先生も「大会の公演を見てろう者にもできる、とても感激した」と言い、涙を流れされました。私も大変よかったと思いました。

運転

運転

 ろう者の運転免許取得が増えており、事故経験者もいると思います。私の事故の経験を話します。
 私は26年前に運転免許を無事取得しました。車を購入し、届いた車は真っ赤なボディのかっこいい車で、嬉しかったです。
 ろうの友人二人と和歌山県にドライブに行きました。山道をずっと登っていき、運悪く雨が降ってきましたが、カーブを曲がりそこねてガードレールに激突しました。車は大破。三人とも怪我をして、救急車で運ばれました。
 翌朝、警察に呼ばれ、筆談で話をすると、その場所は死亡事故多発場所で、三人とも無事だったことは凄い!運が良かった!と言われました。
 これからは事故を起こさないように、カーナビを付けて安全運転をしていこうと思っています。

寄宿舎

寄宿舎

 私の同僚に聴覚障害者がいる。彼は、小さい頃、耳が聞こえなくても近所の子供たちと普通に遊んでいたが、6歳になると彼だけが遠くにあるろう学校に入ることになったそうだ。
 何もわからないまま母親にろう学校へ連れていかれて、寄宿舎に荷物を運ぶと、母親がいなくなってしまい、寂しくて泣いたことを覚えているという。
 寄宿舎で先輩たちは手話で話していて、彼は最初何もわからなかったそうだが、すぐに手話を覚えて楽しい生活になったという。トレイに幽霊が出るなどと先輩に脅されたり、同級生と一緒にいたずらをしたり、消灯後に後輩を引き連れて抜け出したりと、いろいろあったようだ。
 でも、寮母や先輩から学び、後輩の面倒を見て、社会生活のルールを身に付けられたのは、親元から離れて寄宿舎で学んだ良い面だったという。
 彼は今私と同じ会社で仕事をしているが、健聴者ばかりで手話が通じなくても、筆談をしたり、みんなに簡単な手話を教えたりと、前向きな姿勢に頭が下がる。それも寄宿舎での集団生活で鍛えられた彼のバイタリティなのだろうと思う。