なぜ「ろうあ協会」か?

あしや温泉インターネットで調べことをしていて、たまたま見つけた

http://blog.livedoor.jp/double222/archives/50631596.html

のURLに目が釘付けになりました。

なぜ「ろうあ協会」か?   http://blog.livedoor.jp/double222/archives/50631596.html

もう少しでS市のろうあ協会の3年任期が終わる。
ろうあ協会の役員としての活動は、別の場所で1年間青年部としてやらせていただいたあと、このS市に引っ越してきてからは、3期務めたことになる。合計1+9=10年間。

ろうあ協会は、だんだんと若い人が減っていて(というか若い人もいずれは高齢者になる)、また、新しい若い人がなかなか入会しないので、高齢化が進んでいる。
若い人がなぜろうあ協会に入会するとは限らないのか、それにはいろいろ理由があるだろう。
まず、ろうあ協会でなければならない、ということはなく、要求も多様化しているため、自分に合った活動場所や参加する場所を選べるようになってきているということ。これは喜ぶべき事実ではないかと個人的には思う。社会参加がすすみ、聴覚障害者もいろいろな場所で自己実現ができるようになったとすれば、選ぶ場所もろうあ協会オンリーではなくなるからだ。
それから、ろうあ協会そのものが、そういう若い人のニーズに応えきれていないという現実がある。もっと学びたいとか、趣味を広げたいとか、そういう若い人の要求からすれば、ろうあ協会の企画はそれに叶ったものと残念ながらなっていない。

私が若い頃は、とにかく自分のコミュニケーション問題と常に向き合い、突っ走ってきたが、必ずしもそうしなくてもいいわけで、困難は困難としてあるけれど、それに真正面から常に向き合うのではなく、ときにはかわせるものならかわしながら生きていくのもアリだと思う。
でも最終的には逃げることができないというのも付け加えよう。

先輩たちが逃げずに立ち向かったからこそ、手話通訳の制度はある。
字幕付きテレビも、要約筆記についても、要求を貫こうとした人がいたからこそ実現している。

つまり誰かがその役割をしなければ、現在はなかったわけである。
私は喜んでその役割を引き受けていこうと思う。

つらそうに書いたが、実はつらいことばかりではなく、結構楽しいこともろうあ協会にはある。固いことばかりではたくさんの人の心をとらえることはできないし、逆に役員も固いことばかりだとつらくなる。

という内容で、この後も続くのですが、私自身、ろうあ協会に入る若い人が少なくなっている、というような話しは何回かお聞きしたことがあり気になっていました。
今回ご紹介した内容は1つの答えでもありますね。

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