手話」カテゴリーアーカイブ

情けは人の為ならず

情けは人の為ならず

先日、手話関係の勉強をしていたときのことです。

情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)とは、日本語のことわざの一つ。、とされていますが、その意味について私は勘違いをしていたのです。

私自身としては「情けをかけることは相手にとってよくないことであるから辞めた方が良いよ。」という戒めの言葉であると思い込んでいました。

しかし、本当の意味は「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というのが原義である、と知りびっくりしてしまったのです。

そこでインターネットなどで調べてみると、次の内容が紹介されていました。

1960年代後半、若者を中心にこの言葉を「情けをかけることは、結局はその人のためにならない(のですべきではない)」という意味だと思っている者が多いことが、マスコミなどで報じられた事が話題となった。(この意味を持つことわざは「情けが仇(相手にかけた情けが逆に悪い結果を招く、という意味)」である)。2000年ごろより、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。2001年の文化庁による国語に関する世論調査では、この語を前述のように誤用しているものは48.2%と、正しく理解しているものの47.2%を上回った。

この誤解の根本は、「人の為ならず」の解釈を、「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)としてしまうところにあるとされる。本来は「人の為なり(古語:「だ・である」という「断定」の意)+ず(打消)」、すなわち「他人のためではない(→ 自分のためだ)」となるからである。

言葉の誤解が広まった背景には、現代語が普及して古語の意味が国民の意識から次第に薄れつつあり、その上に現代語での解釈と、現代的な価値観を合わせてしまった事があると言われる。また「情けは質に置かれず」(経済的な意味のない情けは役に立たない)とか、「情けが仇」ということわざがあることも、誤解を広めた一因でないかとも言われている。

そのため、時代の変化により語の意味や解釈が変化してしまう例として、取り上げられることも多い(「助長」も孟子によれば、元は「急に成長させようとして無理に力を加えれば、かえって弊害が大きい」という意味であった)。

なおいくつかの文章では、「為ならず」の後ろにもう一文を加えて言葉の意味を分かりやすくしているものもある。下記はその例である。
「情けは人の為ならず 身にまわる」(世話尽)
「情けは人の為ならず 巡り巡って己が(自分の)為」

以上がインターネットで紹介されていたような内容なのですが、私としてはまさに手話で「へぇ~」と顔の前で右手をさっと振り下ろすような反応をしてしまいました。

皆様は「情けは人の為ならず」の意味を正しくとらえておられたでしょうか。私は勘違いしていました。

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ダンダリン労働基準監督官とろう者や聴覚障害者with手話

ダンダリン労働基準監督官の影響なのかどうかはわかりませんが、私のところにも労働基準監督署に一緒にいってほしいと、ろう者や聴覚障害者の方からのご連絡をいただくことがあります。以前、神戸西労働基準監督署に行かせていただいた際の内容はhttp://diary-tkgb.com/?p=1478をご覧いただけたらと思います。

地域の人々とのコミュニケーションについて

地域の人々とのコミュニケーションについて

(1) 地域活動への参加は聴覚障害者の場合どうでしょうか。テレビで手話が広がってきたこともあっか、引っ越しなどをきっかけに聴覚障害者が積極的に近所に回ってあいさつする中でかかわりを持とうとする人たちが増えてきました。また、自治会の集まり等、通訳が必要なときに通訳者を派遣する場合があります。

ということを学びました。

聴覚障害者の生活について

聴覚障害者の生活について

(1) 聞こえないということは、、コミュニケーションが取れないという問題だけではありません。聞こえないことが外見からわかりにくく、補聴器をつけていれば聞こえると思われるため、後ろからの話し掛けや、放送での呼び出しに返事や子応答がないことで周囲の誤解を受けたり、また、家族間や職場の大事な話し合いや診察などで結果だけが伝えられるといったことも起こっています。

ということを学びました。

聴覚障害者の生活について

聴覚障害者の生活について

(1) 遺産相続など、聴覚障害者にも直接関わってくるような問題の時も家族との話し合いから外されてしまい、結果のみを知らされてしまったというケースがある。
(2) 非難に関する情報が入らない、ガス漏れの放送が聞こえないなど阪神大震災の教訓を生かし、地域で手話や聴覚障害者問題を学び、緊急時に限らず、日頃から声をかけ合って助け合っていくことが大切である。
(3) 医療の専門用語を聴覚障害者に理解しやすいように、視覚的にわかりやすい説明を医療従事者にお願いするのも理解を助けるための一つの方法である。
(4) 身体障害者雇用促進法により、聴覚障害者の雇用が増えたが、コミュニケーションがうまくいかない、会議と研修の保障ができないといった課題を多く抱えている。

ということを学びました。

聴覚障害者が生活に困っていることとしては

聴覚障害者が生活に困っていることとしては

(1) 一般的には健聴の家族との会話で筆談や読話だけでは意思の疎通に困難がある。
(2) 職場の朝礼や会議で手話通訳なしで何を話しているかわからない。後で簡単なメモを渡されることがある。
(3) 災害時の緊急避難放送などの情報が入らない。

ということを学びました。

聴覚障害者の生活

福祉交流センター聴覚障害者の生活

1. 聴覚障害者が生活に困っていることとしては

(1) 一般的には健聴の家族との会話で筆談や読話だけでは医師の疎通に困難がある。
(2) 職場の朝礼や会議で手話通訳なしで何を話しているかわからない。後で簡単なメモを渡されることがある。
(3) 災害時の緊急避難放送などの情報が入らない。

ということを学びました。

しあわせの村のデイキャンプ場

ディキャンプ場先日、兵庫県神戸市北区のしあわせの村にあるデイキャンプ場に行く機会がありました。平日だったのですが、多くの人たちでにぎわっていました。私が手話入門講座修了後の同窓会でも将来的に利用させていただきたいと思った次第です。また、このしあわせの村以外で私が自由度が高いと感じているデイキャンプ場つまりバーベキューができるところとしては、神戸青少年公園があります。くわしいご説明に関しては、http://tkgb.jp/park/park.htmlのURLをご覧いただけたらと思っております。

手話通訳者がいます

手話通訳者私が利用する神戸市北区役所に「手話通訳者がいます」というポスターがあります。多分、他の区でもあるのではないかと思います。皆様のお住まいの近くにあるお役所には似たようなポスターはありますでしょうか。

書道展覧会

書道展覧会2013年11月1日から3日間、兵庫県民会館である書道展覧会が開催されていました。私が手話入門講座修了後にお会いしたクルで大正時代生まれの方から「出品しているから見に来てね。」というご招待をいただきました。早速初日の11月1日に作品を拝見しに行かせていただきました。とても素晴らしい作品でした。今回ご紹介した写真の作品となります。お名前につきましては、モザイク処理をかけさせていただきました。こういう素晴らしい方々とお知り合いになることができた偶然に私は感謝する毎日を過ごしています。

ろう者が手話サークルの会長

2団体一泊合同研修パンフレットなぜかわからないのですが、「ろう者が手話サークルの会長」というキーワードでのアクセスもあります。私にはよくわからないのですが、実際にろう者が手話サークルの会長を務めているところもあるのでしょうか。

コメを研ぐ(米をとぐ)を知らない若者たち

菊正宗樽酒私が手話入門講座修了後に参加させていただいているところで、私にとっては衝撃的な言葉を教えていただきました。

今の若者では「米を研ぐ(こめをとぐ)」という意味を知らない若者たちが増えている、ということです。

「こめをとぐ」いう言葉を健聴者の立場でひらがなの状態で耳で聞いたり、ろう者の立場で指文字で読み取ると、「お米をナイフで削っている状態」というイメージをする若者が増えているとある方からお聞きしました。

この内容に私は衝撃を受けてしまいました。皆様はいかがでしょうか。

兵庫県立聴覚障害者情報センター

兵庫県聴覚障害者情報センター私が手話入門講座修了後に参加させていただいているところでのある方とのお話の中で、「兵庫県立聴覚障害者情報センターのホームページを見て色々な情報を得ています。何か行事やその他の催しなどに関しても参考にしています。」というお声をいただきました。私自身も兵庫県立聴覚障害者情報センターのホームページを拝見することが多いです。兵庫県立聴覚障害者情報センターのURLはhttp://www.normanet.ne.jp/~h-center/となります。皆様も一度ご覧になってはいかがでしょうか。

先輩が居るから今がある

ビアサーバーある方と「先輩が居るから今がある。」というような話をしました。私が手話入門講座修了後に参加させていただいているところでも先輩方がおられたから今も手話での会話ができる場があるのですね。その意味について考えた夜でした。

裁判所での通訳をやってよ

一生懸麺先日、仕事関係である弁護士の方とお話をする機会がありました。その中で、裁判所では検察側、弁護側、傍聴側など必要な場合には複数の手話通訳が必要な場合があるとお聞きしました。そして、以前、その弁護士の方が関係した裁判では、詳細は今回の記事では省かせていただきますが、あるろう者の手話がなかなか読み取れなくて苦労したとおっしゃいました。私が手話入門講座を修了した後も手話活動を続けていることを知った、その弁護士の方は「裁判所での通訳をやってよ」とおっしゃいました。それが簡単にできるようならば、誰も苦労はしないのではないか、とも思ったのが私の本音でした。