城崎温泉駅(きのさきおんせんえき)は、兵庫県豊岡市城崎町今津字稗田にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅である。

城崎温泉駅城崎温泉駅に行く機会がありました。

城崎温泉駅(きのさきおんせんえき)は、兵庫県豊岡市城崎町今津字稗田にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅である。

北近畿の温泉の名所として、また、冬の蟹料理の本場として、観光地としての賑わいを見せている。山陰本線京都口の電化区間の西側終端となっている。このため、電車特急の「きのさき」「こうのとり」の終着駅となっており、この先は伯耆大山駅まで非電化区間となり気動車での走行となる。

2000年(平成12年)に第1回近畿の駅百選に選定されている。2005年(平成17年)4月1日に城崎町が隣の豊岡市と合併することに伴い、同年3月1日に「城崎駅」から「城崎温泉駅」へと改称された。その際には、演歌歌手の細川たかしが一日駅長を務めた。

歴史

1909年(明治42年)9月5日に国有鉄道により豊岡駅 – 当駅間が開通したことによりその終着である城崎駅として開設された。この区間は後に播但線となる区間の延長として建設されており、同年10月12日の線路名称制定により正式に播但線とされた。1911年(明治44年)10月25日には香住駅まで延伸し、当駅は中間駅となった。1912年(明治45年)3月1日に全通に伴って当駅を含む区間は山陰本線に編入され、当駅もその所属となった。

当地は江戸時代から名高い温泉地であったが、全国的に有名な温泉地として本格的に発展が始まるのは鉄道の開通によるもので、特に1917年(大正6年)に志賀直哉の発表した「城の崎にて」に代表される数々の文学作品に登場したことで知名度が向上し、関西を代表する温泉地として成長していった。開設当時の駅は温泉街から外れた場所に位置していたが、利用客が増えるにつれて駅前がにぎわい始め、やがて温泉街と一体化した街となっていった。

1925年(大正14年)5月23日に発生した北但馬地震では、城崎温泉は壊滅的な打撃を受け、駅舎も倒壊した。翌年5月21日に鉄筋コンクリート造りの2代目駅舎が落成した。これは当初はシンプルな外観のものであったが、1949年(昭和24年)5月11日に完成した改築工事により、瓦屋根を載せた和風スタイルとなって現在の姿となった。

山陰本線初の特急として「まつかぜ」が運転開始される際には、豊岡駅との間で特急停車駅を巡って激しい争いが繰り広げられたが、1961年(昭和36年)10月1日の運転開始より当駅は特急停車駅となった。1986年(昭和61年)11月1日には当駅まで福知山線・山陰本線の電化工事が完成し、多くの特急を含む電車列車が当駅で折り返すようになった。

2000年(平成12年)7月7日に駅舎前に「駅舎温泉さとの湯」がオープンし、10月14日には「近畿の駅百選」第1回に選定された[3]。2004年(平成16年)、翌2005年(平成17年)4月1日付で豊岡市などと合併することにより、自治体名から「城崎」が消えることになったことから町民などから知名度の高い城崎温泉の名を駅名に残してほしいという要望が出て、旧城崎町が経費(約5000万円)を負担して「城崎温泉駅」へ改称する要請をJRに対して行い、合併を前にした2005年3月1日付で実現した。

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