皆様、こんにちは。NPO法人ウィズユきたごよう副理事長です。
野菊のように生きる そして あなたを愛してる05 ~地域に生きるある婦人の物語~
今現在は新型コロナウイルス感染症拡大防止のためにNPO法人ウィズユきたごようの活動は自粛期間中です。ここで、平成時代に創設し、今も続くNPO法人ウィズユきたごようの初期のころのお話しと理事長の考え方なとについて何回かに分けてご紹介していきたいと思います。
【婦人会のこと】
神戸で生まれて、神戸で育って、昭和 39 年に神戸出身やないダーリンと恋愛結婚した。
婦人会活動は昭和 50 年から始めて、仕事してたから、そんな何もかもという訳やなかった。
私は手芸が好きやから、小学校で手芸を教えるとか、そういう活動に声をかけて欲しいと思ってたんやけど、上手いこと使こて貰えなくて、ずっと不満はあった。
婦人会は小学校区に一つ、いうことで、五葉婦人会が発展的に「北」と「南」に分かれた時、会長の話が来た。
どないしようか思てたら、ダーリンに、「仕事の片手間にできるんか。よう考え」と言われて、結局、仕事辞めて、北五葉婦人会の会長を引き受けた。
自分の経験から、人の使い方は常に考えたよ。
やりたいことをしてもろて、長く続けてもろて、離さんこと。
それを心がけた。
さっき、「生きがいデイサービス」で調理してた主任な、あの子は前に病院
で調理やってて、たまたま区民センターのエレベーターで擦れ違た時に、「ママさんバレーボールやめる」って言うから、うちに引っ張った。
前から知ってる子で、いつか何かしてもらいたい思ってたから、ちょっと擦れ違ったタイミングを掴んだんよ。
神戸で婦人会いうたら、大きい組織やよ。知ってはるでしょ?
勉強したり、地域活動したり。うちは今 300 人の会員さんがいる。
他は知らんけど、うちは幽霊会員なんて居てへんよ。みんな、私の子ども。
ホンマにそう思てる。
子どもが生まれへんかったからかも知れんけど、会員全員、私の子どもやと思う。
良いことも悪いことも、ひっくるめて、子どもを大きせなアカン。
みんな抱えてあげる。
そない思てる。
「生きがいデイサービス」にしても、介護保険が始まると同時にこの制度が出来た時、小学校区に一つ、いう決まりやった。
せやけど、何で一つだけなん? って。
地域の人たちは、みんな年をとる。
先を考えて、居場所を作っておきたかった。
せやから、婦人懇談会であげたんよ。
ほんなら、取り上げてもらえた。
この部屋は、婦人会で借りてるんよ。
婦人会でやったヘルパー研修の修了生も、せっかくやから、活躍して欲しい思てた。
そんなんもあって、「生きがいデイサービス」を、とにかく始めた。
助成も何にもなかったから、自分らでお金を集めて、NPO を立ち上げて。
NPOやったら、婦人会でも持ってる。
「輝」いうて知ってる?
婦人会が母体のNPOやけど、デイもそこでやったら、いうて随分言われた。
せやけど、私は、それは嫌やってん。地域のことは地域でやりたい。
婦人会は大事やし、物凄い信用が篤いけど、あくまで任意団体や。
そう思て、色々言われたけど、地域主体で NPO を作ってん。
このシリーズはインターネットで
「野菊のように生きる そして あなたを愛してる ~地域に生きるある婦人の物語~」
を検索すると出てくる資料からの引用です。
続きはまだまだありますので今しばらくお待ちください。