月別アーカイブ: 2015年4月

うんこ

うんこ

人間が死んだらお葬式するやろ。きれいに花で飾ってもろて。みんなにお参りしてもろて、かわいそうに言うて泣いてもろて、お寺さんに拝んでもろて、人間だけがそんな大層に葬式してもろてずるいと思わへんか。動物も植物もみんな生き物には命があるのや。人間と同じ尊い命を持っているのや。便所は、人間が生きるために殺して食べた動物らのお葬式の場所なんや。家のお仏壇をきれいにしておくのと同じで、人間が食べた生き物のお葬式の場であり、お墓と思うて感謝の気持ちで、便所はいつもきれいにしておくもんや。「便所を見たらそこの家がわかる」と言われるやろ。それは、優しい心があると、便所をきちんときれいにする心が自然と出てくるからや。「人間が万物の霊長」や「人間が動物の中で一番偉い」と言うのやったら、人間にしかできんことを、他の動物にしてあげてこそ、万物の霊長と言えるのや。わかったか。うんこが汚いなんて言うたらあかんぇ。明日からうんこに手を合わしてあげや。

お寺でも便所の掃除には気を使います。いつ参詣の方がこられてもきれいなように気を付けています。便所を見ればお寺がわかる!かもしれませんよね。

悪いことしても、誰も見てへん思うたらあかんぇ。「見てござる」言うて、「友達が見てござる、兄弟姉妹が見てござる、親が見てござる、隣の人が見てござる。世間さまが見てござる、ご先祖さんが見てござる、神様、仏様が見てござる。」本当に困ったときにも、ご先祖さんや神様、仏様が見てて、ちゃんと助けてくれはる。

「見てござる」著者の玉置さんのように、その地に生まれ、育ち、暮らし、家を構えて先祖をまつる、いわば「老舗の生き方」があってのもののように感じました。

「無縁社会」の現代を生きる私たち、何ごとも目に見えて正確な答えがないと信じることさえ出来なくなってきています。そんな現代人の心の貧しさみたいなものを「見てござる」で改めて痛感しました。まあそれにしても毎日お寺の前の溝にはゴミやたばこのポイ捨てが多いこと。「見てござる!」ですね。

スポンサードリンク

聴覚障害者からの手紙

警察署に行きました。○○さんの事について解決しましたからまた繰り返ししてあればトラブルが起こったから困るでしょうか?と警察署に言われましたからわかりました。新しい弁護士に相談をしましたからまたトラブルが起こったから大変ですから警察署も言われましたからわかりました。わかりましたか?返事下さい。手話カフェがなくて△△スナックに行きましょう。楽しく話をしたいと思いますから宜しくお願いします。返事下さい。

新年に寄せて 神戸市長 久元喜造

新年に寄せて 神戸市長 久元喜造

あけましておめでとうございます。皆さんが健やかに新年を迎えられましたことを心よりお喜び申し上げます。2013年11月に、第16代神戸市長に就任しました。

新しい年を迎え、改めて責任の大きさを痛感しております。神戸の歴史と神戸市政の歩みをしっかりと受け継ぎ、新しい未来の創造に向けて、全力で取り組んでいきます。2013年は神戸に新しい動きを感じるニュースが多くありました。ハーバーランドでは、アンパンマンこどもミュージアムや商業施設「umieウミエ」がオープンしました。また、ips細胞を活用した世界で初めての臨床研究がポートアイランドの医療産業都市で始まっています。このような新しい動きは、神戸に新しい人・物・仕事・情報の流れを増やすことにつながっており、神戸の新たな成長の原動力となっています。今後は、これらの動きをさらに活発にし、神戸を「安定した成長軌道」にのせていくことが求められています。経済の活性化やにぎわいづくり、雇用の拡大のための様々なとれ組を進めてまいります。市民の皆さんが夢を持って元気で安心して暮らしていけるよう、全力で取り組んでまいります。どうぞよろしくお願いいたします。

手話は言葉

ろう者とのコミュニケーション手段に筆談があるが、文章の苦手なろう者は多い。例えば「〇〇しかない」は「ない」と思ってしまう場合もある。手話では「〇〇だけ・ある」と表現する。筆談だけでは限界がある。

聴覚障害者協会と手話サークルで、小中学校の福祉学習に参加すると、ろう者に対して、こんな質問がよくある。

「手話はいつから覚えたんですか?」

ろう者は答える。

「あなたたちは、いつから日本語を覚えたの。手話も日本語と一緒。自然とろう者を見ながら覚えたのよ。手話は私たちの言葉なの。」

交流しながら子どもたちは、少し理解を深めてくれる。最後に、もっと手話を覚えたいと言ってくれる。

診察や、子どもの学校面談の時、手話奉仕員や派遣通訳を依頼しているが、少なくとも公的な場では、常時コミュニケーションがスムーズにとれる社会になってほしい。

西脇市も手話言語条例が制定される日を待ち望んでいる。

以上は、http://tkgb.seesaa.net/article/410909951.htmlからの引用です。

青信号というのになぜ緑色の信号があるのですか。

Q36 青信号というのになぜ緑色の信号があるのですか。

答 昭和5年、日本ではじめて現在のような信号機が設置された時は、法令上 「緑色信号」と呼び、緑色の信号でしたが、一般の人々の間では、「青色信号」や「青信号」という呼び名が次第に定着していきました。

 そこで、昭和22年には、法令上も「青信号」と呼ぶようになり、信号の色も緑色から青色に改めていきました。昭和48年以降に作られた信号機は呼び名どおり「青」色に作られていますが、古い信号機は緑色に見えるものもあります。

以上は警視庁のホームページのhttp://www.keishicho.metro.tokyo.jp/webpb/info/36.htmからの引用です。

神戸市立さざんか療護園の「こころのふれあい広場」

早くも4月になりました。神戸市立山茶花療護園の「こころのふれあい広場」は例年通りに行われました。当日は快晴でしたがあいにく風が強く、当初ベランダで行っていたたこ焼き、フランクフルトは急遽、中で行うことになりました。そうしたところ、今までのように職員さんが取りに来られるのではなく、園の皆様が直接取りに来られ、そこで会話が発生するという好循環が生まれました。ひょっとしたら中で焼いた方がよいかもしれません。アトラクションは、さざんか園のカラオケをお借りしてのカラオケ大会でした。因みに去年はプロの落語さんをお招きしての落語でした。皆様の本当に楽しそうに歌っている姿を見ていますと、やはり笑顔って良いものだなと心から思います。去年の様な拝聴型も良いのですが、このような参加型のアトラクションも良いものです。僭越ながら私たちも参加し、中でも私が一番楽しんでいたんじゃないか?という話はメンバーだけの秘密です。クライマックスのビンゴゲームですが、この景品の準備が大変でした。それだけに、皆様が景品を嬉しそうに貰っていたと聞いた時は胸が熱くなりました。最後の方がビンゴになると時計は3時を指していました。

横文字用語

横文字用語

ライフスタイル=生活の様式、営み方。また人生観・価値観・習慣などを含めた生き方。

地域コミュニティ=地域住民が生活をしている場所。

コミュニティ=人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域及びその人々の集団。

シーリング=行政体が予算を編成する際、各省庁や部局の概算要求に対して定める上限額のこと。

ウォーターフロント=都市の中で、海辺などの水面に近接した地域。港湾、臨海部をさして使われる。

リノベーション=新築時の目論見とは違う次元に改修する(改修)

リフォーム=新築時の目論見に近づくように復元する(修繕)

イノベーション=新しいものを生産する。あるいは既存のものを新しい方法で生産する。

エンタープライズ=企業誘致(経済特区)

リニューアル=店舗の新装・改装。増設計

マーケティング=顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動

クラウドサービス=従来は手元でのコンピューターに導入して利用していたようなソフトウェアやデータ、あるいはそれらを提供するための技術基盤(サーバなど)をインターネットなどのネットワークを通じて必要に応じて利用者に提供するサービス

コンベンションセンター=展示会や会議を行う事業を主体とする複合施設

Wi-Fiアクセスポイント=無料でインターネットが見られる

ビジョン=将来のある時点でどのような発展をとげていたか、成長していたかなどの構想や未来像

リデザイン=高度の次元で完成されたデザイン(最適解)を更に最適化する

プロジェクト=何らかの目標を達成するための計画をさす

メディカルクラスター=急性期医療を担う病院から医療関連産業に至るまでを集約化した一大医療拠点

ワンストップ窓口=複数の行政サービスを1つの窓口で受けることができる機能

モニター=英語で監視や監督を行うもの。指導を行うもの

ワークショップ=日本では体験型講座を指す。共同で何かを作る場所を意味していた。

プライマリーバランス=公債費を除いた歳出と、市債収入を除いた歳入とのバランスを表し、財政の健全性を示す指標

聴覚障害者からの手紙(1種2級)

聴覚障害者からの手紙(1種2級)

迷惑をかける様に、長い間すみません。
2年前の時は挙式の出席をやつたよう、お互いに手話通訳をいろいろご苦労様でした。本当は有り難く申し上げます。
挙式の時は、写真の4枚が有ったので、無料と言われて申し上げます。
この別は、昨年11月18日の時に女児の赤ちゃんを出産したら、今ではもう少し大きく女児の赤ちゃん10ヶ月過ぎているので、よろしく申し上げます。
僕も女児の赤ちゃんの名前は〇〇ちゃんと言って、お知らせ申し上げます。
あなたは 又 会いましょうね。体は気を付けてネ。
  昭和55年10月4日記入 さようなら
                           △△△より

関八州(かんはっしゅう)とは

関八州(かんはっしゅう)とは

野州(やしゅう)  =下野(しもつけ) 東山道  栃木県
上州(じょうしゅう)=上野(こうずけ) 東山道  群馬県
常州(じょうしゅう)=常陸(ひたち)  東海道  茨城県中部・東部
総州(そうしゅう) =下総(しもふさ) 東海道  千葉県北部・茨城県西部
総州(そうしゅう) =上総(かずさ)  東海道  千葉県中部
房州(ぼうしゅう) =安房(あわ)   東海道  千葉県南部
武州(ぶしゅう)  =武蔵(むさし)  東海道  埼玉県・東京都・神奈川県東部
相州(そうしゅう) =相模(さがみ)  東海道  神奈川県中部・西部

借別 手話通訳の草分け 貞広邦彦(さだひろくにひこ)さん

借別 手話通訳の草分け 貞広邦彦(さだひろくにひこ)さん

秋篠宮妃紀子さまの手話は、まるで茶の湯の点前を見るように優雅だが、その指南役を13年務めたのが、貞広さんだった。

通夜にみえた紀子さまは棺に向かうと手話で、
「先生のご遺志にそうよう、これからも一生懸命努力いたします。どうぞ安らかにお眠りください」
と、静かにお別れをした。

そのとき、加津子夫人や遺族には、紀子さまの背中が小さく震えているように見えた。

貞広さんは手話通訳の草分けだが、手話を知ったのは20代の後半だった。広島の中学の数学の教師をしていたころ、知人に誘われて聾学校にいったのがきっかけだった。そこで見た子供たちと先生の必死な姿に胸を打たれ、聾学校の教師に転じる。そして、手話の単語をひとつずつ覚えていった。

「僕は、子供たちに教えられ、励まされ、育ててもらったようなものです。みんな、耳が聞こえない分、心が優しいんです。」

と、いつもいっていた。

増える一方のカタカナ言葉をどう訳すか。難問を抱えて忙しい日々を過ごしながら、手話落語をし、カラオケにいけば「王将」を手話付きで歌うこともあった。仲人をした聾唖者は30組を超え、その世界では、父親のように慕われていた。

2月に病気がわかって入院すると、加津子夫人に、「やっと二人きりになれたな」といったが、病気と闘いながらも、恒例の「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」のことが、頭から離れないようだった。

手話の普及などを目的に、1984年に始まった催しで、第1回から審査委員長を務め、紀子さまは9回出席されている。

記念の20回目の今年は、8月30日に東京・有楽町の朝日ホールで開かれるが、息を引きとった6月2日は、そのコンテストの原稿応募の締め切りの日だった。(川村二郎)

以上は、私の手元にある2003年6月30日(月)の朝日新聞夕刊からの記事紹介です。

早口言葉

早口言葉

・なまごめ、なまむぎ、なまたまご

・となりの客は、よく柿食う客だ

・東京とっきょ、きょかきょく

・赤まきがみ、青まきがみ、黄まきがみ

・スモモも桃、モモも桃、スモモもモモも桃の内

・蛙ぴょこぴょこ、みぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこ、むぴょこぴょこ

・バス、ガスばくはつ

・坊主がびょうぶに、じょうずに坊主の絵をかいた

・となりの竹やぶに、竹立てかけたの誰だ

手話で教える洋裁・先生も苦難の闘病経験者・アラシの中のオアシス神戸

手話で教える洋裁・先生も苦難の闘病経験者・アラシの中のオアシス神戸

国鉄兵庫駅から西へ、高架下はずっと倉庫になっている。その一角に、夜の十時になっても明々と電灯がついているところがある。ここは神戸ロウア・ハウス。板敷の部屋にムシロを敷き裁縫机を囲んで一心に洋裁のノートをとっている二十数人の女性は”言葉を奪われた人たち”…教える人はイブの会の米原英子さん(三七)と万代房子さん(二九)の二人。高架上を走る電車の振動音と米原さんが黒板に書くチョークの音だけが森閑としたこの部屋の空気を破っていた。

ロウア・ハウスができたのはさる昭和二十四年の七月、神戸ろうあ協会(鎌谷悼会長 会員二百名)の広畑肇前会長や理事の竹中喜美さんらがなんとかロウア者のためのクラブを持ちたいと運動し、この建物を借りた。神戸市からわずかの補助はあるが鉄道管理局から借りている家賃年三万五千円を払えば集めた会費も全部なくなってしまうという。だが、会員にとってここは唯一のサロンであり、憩いの場所となった。これらの人々は不幸な星の下に生れ社会からはもとより実家にあってもうとまれる人がほとんど。雇ってくれる人もなく、洋裁や手芸で細々と生活の糧を得ているが、もとより自己流の貧しいもの。「なんとか洋裁の理論についても勉強できないものだろうか」と思い悩んでいた竹中さんの前に現れたのが米原さんと万代さんの二人だった。この二人がロウア・ハウスに毎週水・金曜の二日午後七時から十時まで出張講義に通いはじめたのが昭和三十年の七月。すでに八カ月もの間、一日も欠席することなくつづけられている。

はじめのうちはこの二人の先生も全然話すことができず、竹中さんが通訳をしていた。いまでは二人ともすっかり手話を覚え、集った生徒たちと手で冗談さえいえるようになった。ところが、この先生二人も実は身体障害者。黒板に立つ米原さん、おかっぱ頭の万代さん、ともに元気な顔色だが、米原さんは六年、万代さんは五年もの間、有馬郡三輪町、国立療養所春霞園での闘病生活を経てきた人。米原さんは合成樹脂の玉二十九個を胸に入れる大手術をしたが失敗して一年後にはロッ骨を七本も折り、万代さんもロッ骨を三本切り取った体だった。春霞園を退院後、二人はお互いに励ましあいながら、未亡人や身体障害者など社会的に弱い女性の人生に美しい花を咲かせるひとはできないかと相談した。この企てには万代さんの知人の神戸女学院社会学科を出たばかりの東後宣子さん(二六)と山口さなえさん(二六)も賛成、この四人でさる昭和二十九年の四月に女性ばかりの”イヴの会”がつくられた。手内職の技術を持たない人には技術を教え、職のない人には仕事を提供しようという会。会長にはお百度を踏んで兵庫県連合婦人共励会の田村ふくさんを迎えた。はじめは事務所を坪田ビル二階においたが、昭和三十年四月、現在の兵庫区会下山町一、積徳会内に移り、ひきつづき洋裁、和裁、人形、編物などの内職仕事を教え、あっせんしている。

ロウア・ハウスの編物教室にはすぐ三十人の生徒が集った。無論生活困窮者からは月謝もとらない。ほとんど足代にもならぬくらいの報酬でつづけられた。言葉が通じにくい点もあって、普通人なら三カ月ですむ課程も二年間はかかるという。しかしいまではどしどし質問も出るようになり、数人の優秀なものは別あつらえの注文もとれるようになった。この女性たちは「電車のなかで手話をしていると乗客がひどく笑うのが悲しい。笑わずに友達になってほしい。アメリカ兵は決して笑わない。可哀そうだといってチウイングガムさえくれた」「オシでも心のいい人、仕事も上手な人もいる。私は一生懸命勉強して覚えるから仕事場とミシンがほしい」「最近外国映画の”混血児”というのを見たが黒ん坊の子供がみなから笑われているのを見た時自分の子供時代を思い出して泣けて仕方がなかった。その子が海岸の砂でゴシゴシと顔を洗うのを見て私は指をいやというほど耳に突っ込んだ」また最近離婚した一婦人は「子供が生れるときオシではないかが一番心配だった。そうでないと知ったときの喜び。しかし大きくなるにつれ二人の子供がオシの子だと友だちにいわれ泣いて帰ってくる。結局自分がいない方がこの子のためだ。耳の聞こえるお母さんが来るようにと思って離婚した」とそれぞれ訴えるのだ。だかせ、この人たちは万代さんが病気になったとき、みんなで十円ずつ出し合って見舞に行く人達でもある。

以上は、私の手元にある神戸新聞の昭和31年3月4日(日)の夕刊記事からの引用である。

核家族が進む中

核家族が進む中、夫婦だけとか、一人暮らしをされている方が多い。我が家も早くから、夫婦だけの生活になってしまった。子育てをしているときは、理想を追っていた。息子たちが大学へ行くときには、それぞれ県外で一人暮らしをしなければならないだろうが、卒業すれば戻って来て、地元で就職、結婚して、近くで住居を構えてもらうと。

しかし、現実はそうはいかなかった。夫婦だけの生活は、楽でいいが、寂しい。以前、知人が、「息子、娘がどちらでも遠くで就職、結婚され、早くから夫婦だけになり、寂しい毎日だ」と、会う度に愚痴のようにこぼしていた。当時、私は家族4人そろって、成長期の息子2人のために、毎日、弁当作りで忙しかった。「2人だけやったら、楽でええやん」と、何気なく言っていた。しかし、ここ数年前から、夫婦だけになってしまい、実際に自分たちが経験してみて、あの時の知人の言葉がよく分かった。思いやりのある言葉をかけてあげられなかったことを、反省している。